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2009年11月24日
退院と帰宅
色々とご心配やお心遣いをいただいて、ありがとうございました。
昨夜大阪より静岡の自宅に戻りました。
父は土曜日の午前中に退院しました。
それは「完治」という意味では無く、現状では「特にやれる事が無い」という意味での退院です。
倒れた日、父は祖母宅に行っていた母に電話をかけて、自分の調子が悪い…と伝えたそうです。
電話口の母は父の呂律が回らない声を聞き、過去の私の日記に何度か登場している、今は亡き「きーちゃん」が脳梗塞で倒れた際の状況と似ている事から直感。
すぐ救急車を呼ぶように言ったものの、本人が「そんな大げさな事はしたくない」と拒否。
ならば近所に住む父と仲の良い方に電話を入れて、病院に連れて行って貰えるよう頼んで欲しいと伝えたようです。
しかし父は家の電話から母の携帯に電話をかけ、自分の携帯のメモリーを見ながら「連絡を入れてくれ」という意味のお願いをし、母に何度も電話番号を伝えるものの、自分が見ている番号と口にしている番号が違って電話が通じずイライラしていたとのこと。
結局母の何度目かの「携帯のメモリーを見ながら電話してるなら、そのままかけたらいいんじゃない?」という言葉に、やっと自分のしている事がおかしいと気付いたらしいです。
そして相手の方の「酔っ払いのような呂律の回らない意味不明な言葉を聞いて、これはおかしいと思ったので飛んできた」という機転で、父は助かりました。
父の体調不良の流れは、昨年喉のポリープ手術をしようとして不整脈が発見され、全身麻酔をかけるのは危険と判断されて手術中止となったのが最初。
不整脈の検査をしたら、心臓大動脈の閉塞が発見されてステント手術。
その後無事喉のポリープ切除。
全部治ったと思ったら脳梗塞。
検査の最中に不整脈の状態がかなり悪い事が判明。
治療してたら腕の大動脈閉塞。
父の左首から腕にかけての大動脈は、ちょうど鎖骨の下辺りで詰まっています。
しかし人間の身体は不思議なもので、詰まれば詰まったで他の部分から少しずつ血液の供給はされているとの事。
バイパス手術をするとなると鎖骨を外さなければならなくなり、術後のリハビリなどに時間を要することとなる為、現状手が動いているのにそこまでする事は無いだろう…というDr.の判断から、大きなリスクはあるものの、薬と点滴で何とか血流を戻し、今回は退院…という運びになりました。
父自身は次々に身体の悪いところが判明して、自分でも「結局俺の病気は何なんや?」と戸惑っている状態です。
(「何?」もなにも、「全部悪い」のですが…)
そして土曜日の退院時には紹介状を受け取り、連休明けの今日は元々駆け込んだ医療センターへ戻るべく、外来診療に向かっている筈です。
見た目は至って元気で、会話も弾むし冗談も言います。
でも例えば「歯ブラシ」や「コップ」などのずっと馴染みのある名前は言われてすぐ反応出来ても、「お父さんが使ってるアウトルックエクスプレスが…」などと、ここ数年で覚えた名称に関しては分からないらしくキョトンとしています。(「メールソフト」と言った方が分からないという、不思議な覚え方をしている父…)
パソコンも使えますが、今まで担当してきた名簿の整理などの細かい作業は出来ないらしく、「画面を見てもサッパリ分からない」と戸惑いを見せています。
今まであまりはしゃいだりする事は無かったのですが、TVを見ながら妙にはしゃいでオットに話しかけたり、ずっとTV画面を見ながらしゃべっていたり。
そうかと思うと食器を落として割ってしまった母に対して、今までなら飛んで行って母を助け、率先して掃除をしていたはずが知らん顔で座って新聞を片手にTVを見ていたり、ガラスの破片を片付けているオットの為にホウキを探す母を呼んで、「この人の名前は何やったっけな?」とTVに映る芸能人を指差したり。
父自身も自分自身の「理解できない」状態に戸惑ったり苛立ったりしているようですが、私達周りの人間も父の言動に対する違和感に戸惑うばかりのギクシャクした連休を過ごしました。
脳梗塞から来る認知症…という可能性もあるんじゃないかという不安もある為、母には病院に行ったらDr.に現状の報告をして相談するように…と伝えてあります。
営業成績で日本一になり、高級官僚とも役員として対等に意見を交わし、定年してもOB会などで役員等を歴任してきた父です。
退院前に回覧で来た「町内会役員選出のお願い」に、迷うことなく名前を書こうとした父が今、電話に出る事すら「変な事を口走ったらいかんからな」と躊躇するほどに自信を失っています。
母も不安だと思います。
私が静岡に帰る前日、二人で買い物に行った帰りに母が
「お父さんはこれからもどんどん悪くなっていくと思う。
どうなってしまうのかは、私にも分からない。
でもね、お父さんはえらい人だから、八つ当たりもせず、ふさぎこむ事も無く、自分自身とじっくり向き合ってるよ。
私はそんなお父さんが戸惑いながらも少しずつ色々と頑張ってる姿を見ながら、お父さんの意思を尊重して寄り添っていこうと思ってる。
だから心配しないで。ちゃんと二人で力を合わせて頑張っていくから」
と言い、そして泣きじゃくり、2時間ほど自分の部屋にこもってから笑顔で父の前に戻って夕食の用意をしていました。
お互いに意地っ張りで、お互いに気を遣い合い、父が倒れてから決して二人共お互いの前では泣かずに過ごしてきました。
母が泣いたのはその時が初めての事でした。
浜松に帰る日。
「私はいつもお母さんのそばにいるよ。
どんな事があっても、飛んで帰るよ。
だから困った時は電話して。
愚痴を言いたくなった時も。
心細くなった時も。
泣きたくなった時も、一人で泣かないで。
必ず電話して。」
それだけ伝えて帰ってきました。
母がこれ以上、静岡で待つオットに気を遣わないように。
母と私の二人共が同時に体力の限界にならないように。
そして喉が痛くなってきた私が、完全に風邪で倒れてしまう前に。
帰りの車の中で、私は行きの助手席で泣いて以来初めて思い切り泣きました。
「私の役割は母を守る事と、父と母を一瞬でもいいから笑顔にする事」と心に決め、決して泣かずに過ごした2週間でした。
正直言って怖いです。
これから父がどうなっていくのか、不安で仕方ないです。
漠然と考えていた事を、こうやって文字としていく事も怖い。
考えれば考えるほど不安と恐怖が大きくなって、泣いてばかりです。
じっとしていると身体が震えて涙が溢れます。
我慢の限界が来てたのかなぁ…と、一人泣きながら苦笑いしています。
母を置いて静岡に戻る事が、こんなに辛いと思ったことは無かった。
そして「次に会った時、お父さんが全然違う人になってたらどうしよう…」と思うと、本当に怖い。
そう不安に思うほどに、倒れる前の父と倒れた後の父の様子は違っていました。
こんなに早く、色々な意味で「父を失うかも知れない」という恐怖を味わう事になるとは思わなかった。
年末は早めに大阪に帰る約束をしたので、次に大阪に戻るまで1ヶ月ほど。
たった1ヶ月が、これほど怖いと思ったことはありません。
でも父は、パソコンの前に座って今まで楽しんでいたゲームを起動し、「どうしたらいいのか分からない…」と言いながらも、少しずつ色々試していました。
連休最終日に帰る私達の為にいつものように渋滞情報を調べようとしたらしく、「どこを見ればいいのか分からんのやけどな」と、途中で私を呼びに来てくれました。
病院の会計を全部私がして回ったので、「ちゃんと全部支払い終わってるか?残ってるもんは無いか?お前に渡し忘れてるお金は無いか?」と心配し、確認しに来てくれました。
「俺はおかしいか?」と母に聞き、「もし本当におかしいなら、お母さんに苦労をかける訳にはいかないから施設に入れて欲しい」と母に頼んだと聞きました。
自分と向き合い、覚悟も決めている父を誇りに思います。
「大丈夫、お義父さんはなにも変わってないよ。
お義父さんは、お義父さんだよ」
オットの言葉を信じます。
回復する事もあると聞いているから。
いつか笑って「こんなに不安だった事もあったんだなぁ」と思える日がきますように。
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2009年11月24日 13:28
| Category : 日々徒然・・・
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