2009年11月27日

ic_crown01.gif 母との電話

昨日は母に電話が繋がらず…。
今朝電話をかけたら「今出先やねん。帰ったら電話するわ」と父が出た。
午前中いっぱい待って、午後一番に母から電話。
近所の野菜の産直店に行っていたらしい。

風邪ひきの母の声はボロボロで、かなり心配になったのだけど「喉と鼻は酷い状態だけど、熱もないしだるさも無いから今のところは大丈夫」という言葉を信じる事にした。
ただ、今の段階では父が母の事を思いやれるような状態ではない為、「熱が出たら一番に電話してきてね。すぐ飛んでいくから」と伝えておいた。

新たに父に関しての情報を聞く。
父が以前通っていた病院では「○日朝食前」「○日朝食後」のように飲むタイミング毎に薬を一包化してくれていたのに、今の病院では「ワーファリン・一日一回夕食後3錠」などと薬ごとに分けられてしまっていて、間違いそうで怖い…と父が言っていたので、私が滞在していた間の薬は全て100円均一で買ってきた小さな袋に分けて入れ、その袋に「○日朝食前」「○日朝食後」などと書いて置いておいたのだけど、それを父が「自分でやる」と言い出し、頑張っていたらしい。
今まで、様々な事を要領よくやってきた父だったけど、こういう「物事を順序立てて片付けていく」のが苦手になってしまったらしく、一週間分の薬を分けるのに1時間45分ほどかかっていた…との事だった。
終わった後は何か運動でもしてきたかのように「あーしんどかった!しんどかった!なにも無いみたいな顔してあいつ(私の事)はやってくれてたけど、しんどい作業やったんやなぁ!」と母に言って、自室に戻ったらしい。

仕分けの作業なんて今までなら楽々とやってきていたけど、やっぱりそういう作業が苦手になってしまったんだねぇ…と母と語り合う。
「でもそういう作業をお父さんに任せておいたら、頭のリハビリになるかも?」と言うと、母が「もちろん。何より家計は今まで通りお父さんにやってもらってるよ。それがお父さんのお仕事だからね!ちゃんと買い物に行っても計算してるよー」との事。


買い物から戻って、買った物の入った袋を台所に置いて母が洗濯の続きをやっていたら、今までなら父は自分から立ち上がって買ってきた物を冷蔵庫に入れておいてくれていたのだけど、今日はそのまま台所に置きっぱなしになっていたのだとか。
「冷蔵庫に入れないといけない物が入ってるから、入れておかなきゃっていう【気を回す】事が出来なくなってるらしい」と言っていた。
これは様々な部分で見られる症状なので、目の前に相手がいなくても、誰かの為に前もって何かをやっておくとか、「こうやっておいてあげると喜ぶかな?」などという気持ちで動く事が出来なくなっているらしい。
母が買い物袋からお豆腐を出して「お父さん、今日はお豆腐買ってきたから、こういう物が入ってる時は冷蔵庫に入れておいてね」と母が台所から頼むと、リビングで座ってTVを見ていた父が「おぉ、そうか。そうやったな」と答えたらしいので、全く気付いていなかったんだろう。


何かの話しをしている最中に父が「俺は脳梗塞になって記憶力が落ちたんや。そんなん覚えてないわ」と言ったので、母が「お父さん、今はそういう冗談は言わないで。本当に脳梗塞でそういう記憶力が落ちたのか、冗談で言ってるのか、違いが分からなくて困るし本気にして心配するでしょう?で、本当はどうなの?本当に覚えてないの?」と聞いたら、父が「そのぐらい覚えてるわ!○○やろ!」とニヤッと笑って答えたらしい。

「全くもう…そういう冗談を言うのだけは忘れへんのよ。でも冗談言うだけの余裕は出てきたみたい」と、母。


ただ変にプライドの高い父は、薬の名前を覚えられないのがイヤらしい。
「ワーファリン」は何度も私がその危険性を話したから覚えたらしいけど、「バイアスピリン」「プラビックス」「リスモダン」…血栓予防に糖尿病、不整脈の薬とあれこれ大量に出て、それが全部カタカナの長いややこしい名前だから仕方が無い。
病院の薬局前まで二人で行ったら「じゃ、ちょっとぶらっとしてくるから」と言って父はそそくさ逃げて行ったらしい。

「私だってカタカナの長い名前は苦手なのに、飲んでる本人が説明聞かないでどうするのよねぇ…」と母が苦笑いしていた。


母は父の様子を見て「これは苦手」「これは出来ない」「これは出来る」と頭の中で分類していってるらしい。
買い物の途中で「これは重いから、一度車に入れてくる」と戻っていく父を見て「あら、そういう事は考えられるんだ!」と喜び、「無事にここに戻って来れるかな?」と心配しながら様子を見る。
戻ってきた父を見て「行きと帰りの道は覚えられるんだな」と確認をする。
そんな感じの手探り生活。

そんな話しを聞きながら、2週間の区切りをつけて私が離れたのは良かったと思った。
そうやって、二人で折り合いをつけながら生活していくのが大事だと思うから。
私がいると「あ、私が持って行ってくる!」と動いてしまうだろうし、父が行くと言えばついて行ってしまうだろう。
でもずっと一緒に暮らす訳では無いのなら、早めに二人の生活に慣れていってもらうしか無い。

父にとっても、母にとっても歯痒い事がこれからいくらでもあるだろう。
けれど、それもまた「これからの父の姿」となる。
運動機能に何ら障害が出なかった事は、幸いだった。
自分で出来る事は自分でする。特に自分の事は自分でする。というスタンスは今もなにも変わってない。
自分でお茶を、コーヒーを入れ、「一緒に食べよう」と声をかければ二人分の食事も用意してくれている。
(黙っているとお腹が空いた時に自分一人で作って食べるようになってしまったらしい。以前なら聞きに来るか、二人分とっとと作って「出来たぞ」と声をかける人だったんだけど…)
座ったまま「コーヒー入れて!」「ご飯はまだ?」なんて言う人に変わらなかったのは、本当に良かった。

離れている事での不安はもちろんある。
心配をし続けていてもキリがないのも分かってる。
私には私の、浜松での生活がある事も分かってる。
でもって「すぐ飛んでいくから!」とか言いつつ、喉が痛くて微熱が続いて首と肩と腰が痛くて動けなくて、体力の限界になってるのは母だけじゃないってのも分かってる。
長い長い時間をかけて、徐々に今の父の状態に家族が慣れていかなければ。
泣いたって何も変わらないし、何より父が悲観していないのだから。


電話で、ゆっくりと穏やかに時間を重ねようと努力している母を感じて、改めて思い直した。

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2009年11月27日 13:33 | Category : 日々徒然・・・

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