2007年07月15日

ic_crown01.gif 大切な日。

昨日はオットと「ボーナス♪何買おう~♪」と浮かれてお出かけしていたのだけど、とても大切な日だったと夕方になって気付き、そこからはちょっぴりしんみりモードだった。

そう…去年の今頃の私は、ずーっと思い出しては泣きっぱなしだった。
20年来、まるで身内のようにお付き合いを続けていたおじいちゃまの「きーちゃん」が亡くなった日。


きーちゃんはとってもお金持ちさんだったので、様々な頂き物が家中に溢れかえり、この20年、私も私の実家も洗濯用の洗剤や食器洗いの洗剤、タオルなどは買った事が一度も無かった。(母に「持って帰りー。わしゃいらんからのー。」って言うから)
色々なところの株主だったので、その優待券をたくさんくれて、たくさんの恩恵にも預かった。(10年ぶりぐらいに、マイミクおーちゃんと再会するきっかけとなった「ディナークルーズ券」をくれたり…ね。)
農地や山を持っているので、お米や野菜、果物などもたくさんいただいたりして、本当に…目に見えない部分に至るまでたくさん助けてもらった。


そして何より、母の心の支えとなってくれ、私の生き方を母に諭してくれた人だった。
前夫と結婚すると決めたとき、7年間反対し続けていた母に

「親の人生のシナリオと、子供の人生のシナリオは違うんやで。
親が幸せと思うシナリオが、子供にとって必ずしも幸せなシナリオや無い。
子供の人生のシナリオは、子供に書かせたらなあかん。
親が勝手に書き換えてええもんとちゃう。」

と、言ってくれた。
母はその言葉を聞いてから、私に見合いを勧めたり、父経由で私に別れるようにプレッシャーをかけたりするのを止め、私と共に父を説得する側に回ってくれた。


母は17歳の頃に父親を亡くしているので、きーちゃんと過ごした20年間は、自分の父親と過ごした年月よりも長い。その分、きーちゃんに学ぶ事も多かったし、引っ込み思案で他人には滅多に心を許さない母が、言いたいことを言い、泣きたい時に泣き、怒りたい時に怒れる唯一の相手だった。

「私は子供の頃から5人姉弟の真ん中で、甘える術を知らなかった。大好きだった父親にさえ、素直に甘えられない事が多かった。きーちゃんは、その私の中にある父親への愛情の穴を、埋めてくれる存在だった。」

母が、きーちゃんが亡くなってから言った言葉だ。
そのきーちゃんを失ってからの母は、痛々しいほどに泣いて暮らし、周りが心配するほど憔悴していた。

…きーちゃんが緊急入院した翌日すぐに、きーちゃん宅に上がり込み、家の金庫を持ち去って中の現金を奪い取った長男とえらい違いだ…。


昨日、一周忌の法事で集まった、母ですら名前も知らないような相手が母に寄ってきて「娘さんのすぴかちゃん、まだ遠い所にお住まいなの?寂しいわね。」とか、「お子さんはもう出来た?」とか言ってきたらしい。
「私は一度も自分の家族の話なんてしなかったのに、いかにきーちゃんがあなたの事を人に話していたか…よね。きーちゃん、すぴかちゃんの事が大好きだったからね。」と母が鼻をぐずぐずさせながら言った。

300枚も400枚も年賀状が届くのに、どんなに後から年賀状が届いても、必ず一番上に私の年賀状を乗せていたという、きーちゃん。
私にとっても、物心ついたころには父方の祖父も亡くなっていたので、「おじいちゃんって、こんな感じなのかな?」と思って見ていた、きーちゃん。
母が風邪を引いたり、怪我をしたりしたら、何も言わない母に代わって必ず報告の電話をくれた、きーちゃん。


大好きな、大好きなきーちゃん。
今でも私の携帯や、家の電話の電話帳にはきーちゃんの番号が入っている。
これからも、きっと消す事は出来ないだろう。
何かあったら、また昔みたいに電話して来て。
お盆に帰ったら、お墓参りに行くからね。

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2007年07月15日 07:28 | Category : 日々徒然・・・, つぶやき

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