♪ようこそ♪
【2009/4/10】
不妊治療再開しました。
以前励ましあったお仲間の多くは卒業していって、嬉しい限り。
私もいつか卒業して追いつきたいなぁと思って頑張ってます。
また色々なお話させてくださいね。
もし新たにお越しいただいて興味を持ってくださった方がいらしたら、遠慮なくコメントなどで声かけてください♪
【2009/2/20】
昨年末からバタバタと私生活が忙しく、なかなか更新できずにいました。
ローカルに書き溜めた記事がいくつかあるので、整理出来た順に日を追ってアップしていきます。
お時間のある時にでも日記一覧を見ていただけると嬉しいです('-'*)エヘ
2010年02月07日
雪に思うこと
昨日の雪で思ったこと。
「滅多に雪が降らない」と言われている地域でほんの少しでも雪が舞ったら、車で遠出するのは止めよう…。
雪が降った日は、時間の約束があるお出かけは電車にしよう。
…まぁ、今更の事なんだけど…ね。
帰り道は午後9時に大阪の実家を出て、浜松の自宅に到着したのが午前4時だった。
普段高速を利用すると3時間半~4時間で帰れる事を考えれば、どれだけ大変だったかがよく分かる。
そして世の「お役所」は期末に向けて予算を使い切る為に道路工事を頻発させているので、それでなくても渋滞が多い。
自宅を出て、西名阪から名阪国道に入った辺りは大丈夫だった。
が、道路標示を見ているうちに下柘植(三重県伊賀市)辺りで「停滞」という表示が。
時間的には渋滞の時間でも無いし、「渋滞」じゃなくて「停滞」だから大した事は無いだろうと思っていた。
…甘かった。
現地に近付いていくに従ってまず雪が降り始める。
普通に「雪降ってるね~」じゃなくて、吹雪。
そうこうしている間に伊賀ICを通過…何となく混んでるのが分かる。
でも「停滞」の言葉を信じてそのまま進んだ…間違いだった…かも知れない。
動かない。全く動かない。車がサッパリ動かない。
約2キロ先の下柘植までがはるか遠くに感じられる。
1時間半ぐらいかかって下柘植が近付き、オットと「どうする?降りる?」と相談。
目の前にはテールランプの列。全く動く様子が無い。
停まってしまっているよりは下道でのんびりでもいいから移動する方がマシだろう…と降りてみたら、そこは雪国だった。
とにかく1号線を目指す。峠道も頑張って上る。
トラックが立ち往生し、チェーンをする為に常夜灯の下に停車している。
こちらは四駆。ミッションに切り替えてボチボチ運転するオット。
チェーンは積んでるけど、薬を撒いてるところと撒いてないところがあるので、雪があったり無かったりなのだ。
カーナビを頼りに山道を抜け、畑道を通り、雪で側溝が埋まって見えない道をそろそろと進む。
やっと1号線に出られた時はホッとした。
が、ホッとしたのもつかの間。
今度はそういうわき道から出てきた車が無茶をしたんだろう。事故が多い。
特に風をさえぎられる事がない橋の上の凍結。
後ろから嫌な勢いで上がってきたトラック。
散々煽るような運転をしてから、勢い良く私達を抜いて行った。
「きっと物流で時間に焦ってるんだねぇ」なんて言いつつ見ていたら、いきなり橋の上で追突事故現場。
「あらら…」と横目で見ていたら、今度は走り去ったトラックの荷台が左右に揺れ始めた。
「凍ってる!!」
私が叫ぶのと、オットがクラッチを切って減速するのがほぼ同時だった。
トラックの運転手はさすがプロ。
急ブレーキをかける事も、急ハンドルを切る事も無く何とか体勢を立て直して走り去った。
が、それ以降無茶な運転はしなくなった。当たり前か…。
「あのトラックが横転でもしてたら、こっちも急ブレーキかける訳にいかんし突っ込んでたなぁ」とオット。
ビックリしたし、怖かった。
その後何とか四日市を超え、伊勢湾岸自動車道の「みえ川越」ICまで到着。
朝は事故で通行止めになってしまっていた場所。
「凍結に気を付けてね。特に海の上…」と呟く私。
橋の上でのトラックを見ていたので、オットの運転も慎重だった。
…と…。
「名港トリトン」と呼ばれる名古屋港の上を通る三つの橋のところで、大きなクラッシュ事故。
何台かがすっ飛んだのか、あっちこっちに色々な方向を向いてぐしゃぐしゃになって停まっていた。
「…気を付けて帰ろうね…」
とにかくオットは日曜日が仕事。
無事に会社に行けなければ強行して帰って来た意味が無い。
慎重に…慎重に…を心がけて帰宅したのが午前4時前。
帰るまでに見た事故の件数は多分6件ぐらい。もっとだったかも?
オットは軽く仮眠をした後、7時半には会社に出かけて行った。
今日は残業が無いといいなぁ…気を付けて帰って来てください。
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15:52
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2010年02月06日
病理検査の結果
病理検査の結果と、術後の消毒の為に病院へ。
予約時間は13時。
オットは私の病理検査の結果を一緒に聞く為に、病院へ。
その為に土曜日を休んで、日曜日が出勤になった。
…忙しいらしい。
どうせだから…という事で「体外受精を行う方には受けていただいています」という血液検査も、オットの分を予約しておいた。
私は先日の手術前日に、採血ついでに全部やってもらってある。
ところがその予約時間がお昼の12時で、病院に到着したのは13時過ぎ…。
途中で電話連絡を入れたけど、つくづくどこかに予約している際の長距離移動は、公共交通機関を使おうと思った。
遅れてしまった分後回しにされたりしたのもあったせいか、私が診察に呼ばれたのは15時頃。
「消毒と内診しますんで、すぐ呼びますから前で待っててください」と内診室前で待つこと30分。
「あのー…すぐって言われたんですが…」「あ、ちょうど次ですよー」
…土曜日なのもあって、かなりの混雑…。
内診が終わってから、またDr.と話すのに30分は待たなきゃならないという状態だった。
術後は順調。
病理検査の結果は「悪性の所見は見当たらない」というものだった。
何だよー。「良性」とか言う言葉は無いんだなぁ。ずいぶんネガティブ。
会計までまたまたずいぶん待たされて、全部終わったのが17時。
お昼も食べてなかったので、お腹がグーグー。
病院から駐車場までの間にあるパン屋さんでパンを買い、車の中でオットと齧りながら父の病院の面会時間に間に合うよう急ぐ。
※途中のパン屋さん。結構人気らしい。「イグレックプリュス」
http://www.igrekplus.jp/
(余談だけど母と病院に来た時も一日目は帰りに、二日目は手術後にここのパンを食べた。
「とっても美味しいけど、お店の名前が読めない!」と母。
お店のサイト表紙にロゴが載ってるけど、確かに読めないよねー…)
オットは「ネットで調べたら確率低いって言うし、ありえないって思ってたよー」と能天気。
心の中で「自分の事じゃないからそんな能天気でいられるんかぃ!!」と悪態を吐く。
何とか頑張って父の病院の面会時間ギリギリに間に合い、父に「大丈夫だったよ!悪性じゃないって!」と伝えると、父が拍手をしてピースサインをした後に握手握手。
母も隣で小さく拍手しながら「良かった!!」と喜び、3人でニコニコ。
面会時間が終わり、母と三人で夕食を食べに行く際に母が「ホッとした?」と聞くので、「今私が悪性で治療が必要なんて事になったら、オットさんは平気だろうけどお母さんが倒れるんじゃないかって心配だった」と言ったら母が大笑いしていた。
(そしてオットは「酷いな!大丈夫だと信じてたけど、もし悪性だったら心配するに決まってるでしょ!」と怒っていた)
次の診察は生理10日目になるらしい。
次回の診察から、次の周期の体外に向けてスタート。
今までは「アンタゴ法」や「ショート法」での誘発&初期胚の移植だったけど、今度の病院では次の診察時に誘発方法を相談し、戻すのは「二段階移植」らしい。
この病院にいる不妊センター所長が研究開発し、これを更に進めた「SEET法」はその所長が医療特許を持っている。
年齢を考えたら、少しでも元気な卵を作れるうちに。
そして、複数個の卵を作れるうちに二段階に挑戦しておこう。
そういう事らしい。
この治療をしていると必ず言われる「年齢の壁」。
自分に「年齢」の自覚が無いので、言われる度に変な感じ…。
でもそうなんだなぁ…まぁ、確かに同級生の中には大学受験を控えた子供がいる人もいるし、なんだか不思議だなぁ…。
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21:57
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急げ!急げ!
朝何時に家を出るべきか…と悩みに悩み、12時に神戸なので少し余裕を見て7時前には出るように…と予定を立てた。
…が、オットが起きて来なかった。
目覚ましが鳴ったのは知っていたので、私は自分の準備を進めていた。
7時10分前になって「間に合うの~?起きてる~?」と声をかけた。
「酷いな…起こしてくれればいいのに…」
ぶつくさ言いながら降りてくるオット。
目覚ましかけとったんとちゃうんかぃ!と心の中で呟く私…。
普段起きてるときに「起きてる~?」と声をかけると「起きてるよ!」と軽く怒った感じの返事があるので、あまり起こしたくないのが正直なところ。
結局ギリギリに起きてきたオットの準備が終わるまで、私はボケーッと座って待つ事に。
予定時間を20分ほどオーバーして出発。
ところが家を出たら普段雪なんて全く降らない我が地域なのに、少し雪が舞っている。
少し不安に思いつつ東名高速の入り口まで行くと「ユキ」の表示。
そして三ケ日辺りで今度は「うへぇ…前が見えない…」ほどの吹雪になった。
東名から名神に乗り継いで移動すると関が原で何かあった時に逃げ道が無い。
それならい何かあった時に下道を抜けられる湾岸~名阪経由にしようと思いなおす。
外は雪…というよりも吹雪。通行量が多いから辛うじて凍らないのかな?って感じの吹雪。
だから関が原は危険だろうと思ったんだ…ところがこれが失敗だった。
伊勢湾岸道を走ってる最中に、道路交通情報の表示が…。
「この先通行止め。次で出よ」
えぇぇぇぇぇ~~~!!!!
急いで携帯で交通情報をチェック。
湾岸道から東名阪への乗り継ぎ地点辺りで、事故のマークが5つ…はぁ…。
そして一般道はそろそろ期末に入ったせいで道路工事だらけ。
特に四日市周辺ではそれでなくてもトラックなどが多くて普段から混むのに、大きな橋が二箇所も続けて工事…。
午前11時半の段階で亀山。
12時予約にはとてもとても間に合わないので連絡。
その後何とか名阪に戻り、新名神→名神→阪神高速と乗り継いで三宮へ。
到着したのが午後1時5分頃。
…お昼も食べられずに病院へ。
そして土曜の混雑で、会計が終わったのは午後5時過ぎ。
さて、父が入院する病院の面会時間は午後7時まで。
間に合うかどうか…勝負に出ることになった。
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20:01
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2010年02月04日
徒然
ちょこちょこと午前中に母と電話。
父が女子高生のようにメール魔になってしまった事で、母がかなりオカンムリ。
先日も母と午前中の電話を終え、面会時間を5分ほど越えた頃に父からメール。
「お母さんと連絡が取れません。知りませんか?」
「午前中に電話で話したよ?忙しいだけじゃない?」
「今入れ違いにお母さんが来てくれました」
そんなメールをしたので、母と電話の最中にふと話題にした。
母:「あぁ~…それね、着いた時ちょうど携帯閉じたところだったのよ。
それで昨日ちょっと怒ってきた」
私:「何て言ってきたの?」
母:「私はメールが大嫌い。だから高校の頃からの親友と家族にしかアドレス教えてない。
自分の姉妹にも教えてない。それなのに毎日毎日10通近く送ってこられても返事はしません。
一番近くにいて私がメール大嫌いなの知ってるでしょうに、どうしてそういうことするの?って言った」
私:「あらまぁ…それで何て言ってた?」
母:「『病院から帰った後に家に着きましたってメールだけくれ』だってさ」
入院慣れしていない父は、今強烈にホームシック状態らしい。
通算入院日数が2ヶ月超えたぐらいには、入院生活にも慣れてきてのんびりまったり楽しく過ごせるようになってくるのだけど…。
しかしまぁ、「今血糖値計りました。数値は…」「今看護師さんがお風呂に付き添ってくれました」「今薬を持ってきてくれました」「今TVで○○やってます。○ch見てください」などなどのメールは…申し訳ないが私でも鬱陶しいと思う…。
父は現在、脳血管内科、神経内科、眼科、循環器内科糖尿病専門科の4科にかかっている。
あまりにも同時多発テロだった為、Dr.達も何がどう原因なのか、どれがどう悪さしているかの原因や病名を決める事が出来ないらしい。
新しい梗塞は確かにある。血糖値は280を超え、ヘモグロビンA1c値は8.4になった。
脳血管内科的には、新しく出来た視神経部分である脳幹の梗塞はほぼ治まったらしい。
しかし糖尿病から来る視神経麻痺の中で、滑車神経に麻痺が来るパターンは極々稀なんだそうだ。
となると別の原因が…?という事で、眼科と神経内科のDr.が現れた。
脊椎の髄液検査を受けて弱音を吐く父に、「その検査ねぇ…すぴちゃんが高校生の頃、2週間に1度受けてたわよ。青春真っ盛りの女の子だと神経も新鮮で敏感だっただろうけど、お父さんはもう70歳前の神経で鈍ってきてるだろうから、すぴちゃん程は痛くないんじゃない?」と冷たく言い放たれる。
新たにMRI検査を受け、神経関連の検査項目が増えていく。
「また手術かな…」と呟けば、母に「あれは手術じゃなくて脳血管の造影検査。すぴちゃんに余計なメールしちゃ駄目よ。あの子は本当に手術後なんだから」とあしらわれる。
インスリンの自己注射に関する注意事項を看護師さんが持ってきて「自分でやるなんて怖いし嫌だ」と言えば、「すぴちゃんは治療の中で自己注射するからって講習の予約の事とか積極的に取り組んでるって言うのに…」と言われて…。
すぐ近くに比較対象がいてごめんよ、父。
先日大阪で父と話している時、父は自分の学生時代からの友人の名を何度も出した。
その人は父よりもずっと早くからインスリン投与となり、ワーファリンを5錠処方されている。
「俺は今回でインスリン。ワーファリンは3錠だから、あいつよりはマシなはず。
あいつは飲み会の会場の外でインスリン打って平気で酒も飲んでる。
ワーファリンを飲みながら旅行にもゴルフにも行ってるんだから、俺も出来るはず」
大約すればそういう意味のことを言う。
その場で注意しても指摘しても父は聞く耳を持たない。
自分に都合の悪い事は聞えないという、物凄く都合の良い耳を持っているのだ。
仕方が無いので浜松に帰って来てから、何日かかけてメールを何度も推敲して書いた。
~一部抜粋~
何度も何度もお友達の名前を出して比較していたね。
でも申し訳ないけど、私には顔も知らないお父さんの友人よりお父さんが大事です。
同じような病気を持っている仲間内で最悪な症状が出てしまった今、お父さんには本当に本当に頑張って欲しいと思っています。
弱気になって、何でもかんでもお母さんがいないと駄目駄目な男になんてならずに、今までの『何でも俺に任せとけ!』なお父さんが戻ってきてくれる日を待ってます。
それ以降、父は自己注射の講習を母に自分の代わりに行かせようとするのを止めたらしい。
今は自分でインスリンを何とか打っていると聞いた。
片目では慣れるまでしんどいだろうけど、頑張って欲しいと思う。
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12:50
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2010年01月26日
子宮ポリープ切除
さて、本日は手術の日。予約時間は午前9時。
最初の予約からどんどん時間が早まっていく…。
朝は6時に家を出て、9時どころか8時に到着。
コンビニで買ってきたパンを食べながら時間を潰した。
受付を済ませてしばらく待つと、今回も同じく「ケアルーム前にお願いします」と病院から預けられるPHSに連絡が来て、そのまま奥の「リカバリールーム」へ。
ところが案内してくれた看護師さんがあまりにも早口で、処置前の準備の事がイマイチ頭に入らない…うちに立ち去ってしまった。
とりあえず前回同様、上半身のみ着たままで下半身は脱いでガウンに着替えて待つ。
しばらくすると今度は生理食塩水を持った看護師さんが現れ、点滴の説明。
「最初はこの点滴を入れておきますが、オペ室に入ってから静脈経由で麻酔をかけます。
といってもここ(点滴チューブの途中)から液を入れるだけなので、痛みとかは無いです」
なんて言いながらてきぱきと点滴の針を入れて立ち去った。
…どこまで脱いだら良かったのか、質問する暇が無い…。
すると今度は
「術前の問診表に喘息の既往症があるって書いてあったので…」と看護師さんが現れた。
とりあえず現在はごく軽くなっていて酷い風邪をひいたりした時ぐらいしか発作は無い事。
吸入剤は滅多に使う事も無い事。ロキソニンなどの鎮痛剤を使う事も可能な事を伝えると「あ、それじゃ大丈夫ですね~」とニコニコ。
そこでやっと
「あの…ところで、このガウンに着替えるのにはどこまで脱いだら良かったんでしょうか…」
という質問が出来た。
結局前回はただの検査だったけど、今回は全身麻酔を伴う手術なので「何かあった際にすぐ処置出来るように」全て脱いでおいて欲しかったと言われ、看護師さんに手伝ってもらいつつ点滴チューブをうまく逃がしながら、上半身の下着類も全部脱ぐ羽目になった…。
その後待つこと数分。ようやく呼ばれる。
オペ室には自分で歩いて向かう。
いつもの内診台とあまり変わらない椅子がそこに置いてあるけど、周りにはいつもより人が多くて物々しい。
血圧計を右腕に、左の指先に脈拍測定の機械を挟まれている間に足カバーをかけられ、腰の下にはマットみたいなものを敷かれる。
Dr.は大股開きで準備万端に整えられた椅子の足元で「ライトをもう少しこうして…」などなどの指示をしていて物凄く変な状態…。
そして「よし、それでは始めます」の声がかかった。
「すぐに効いて来ますから、目をつぶってリラックスしておいてくださいね~」
そんな声を聞いて目をつぶる。
「麻酔入りましたー」の声と同時に、他の看護師さんから「麻酔効いて来ますから、ゆっくり深呼吸してくださいね」と言われる。
3回目の深呼吸ぐらいまでは緊張で硬くなっていたので「本当に効くの?!」状態。
4回目ぐらいで頭の中がクラッとした感じがして、5回目に息を吸い込んだ記憶が最後。
次に気付いた時には名前を呼ばれ、「お部屋に戻ってきましたよー。右手にナースコールを握らせてますから、何かあったら押してくださいねー。お母様が付き添いですよね?呼びましょうか?」と話しかけられていた。
前日の検査が滅茶苦茶痛かった…というのを分かっている看護師さんが、すぐに鎮痛剤とお茶をを持って来てくれた。
枕元には「お疲れ様でした」のメモと、小さなパックのお茶とお菓子。
母には「付き添いの方用PHS」が渡されていたので、すぐに部屋まで来てくれて枕元に座ってくれた。
安心してまた眠る…。
「麻酔が完全に抜けるまでには1~2時間ぐらいかかります」と事前に聞いていたけど、実際ウトウトして1時間ぐらいは全く意識無し。
(痛みを感じないLvに麻酔が効いているのは15分間らしい)
その間隣のベッドの人が何度も名前を呼ばれていたのは何となく覚えていたけど、その名前も頭に入らないぐらい熟睡。
1時間ぐらい経ってから看護師さんが様子を見に来て、「あと30分は寝ていてくださいね」と指示を受ける。
そして指示通りの時間が終わってから、着替えて待合室へ。
その後診察室へ呼ばれて切除したポリープを見せられ、「このままこれを病理検査に出しますからね」と言われる。
「子宮内ポリープで悪性の物はそんなに無いので、神経質にならなくても良いと思います。
でも念のために病理検査に出します。結果は次回の診察時に分かると思いますよ」
(詳しくはここがいいかも?→http://www.poroco.co.jp/happylife/doctor/back_num/45.html)
と言う事で、次回の診察予約を取るように言われる。
本当は一週間後に消毒と結果を聞く為に来院…との事だったのだけど、もしオットも一緒に結果が聞けるなら…と土曜日を希望して2月6日にしてもらった。
「痛みが出る事があるので、疼痛があったら安静に。
生理程度の出血が一週間ほど続く場合がありますが、それは大丈夫です。
ただし2日目程度の大量出血が続くようでしたら、来院してください」
そんな指示を受けて病院を後にする。
さてさて、検査結果は2月6日。
どうなる事やら…?
※ちなみにカーテンで仕切られた隣のベッドで、何度も何度も名前を呼ばれながらも高いびきで眠っていた女性の名前は「ヨン様」だったらしい。
(私の通うクリニックは、全て「○○さま~」と呼ばれる)
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21:31
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2010年01月25日
子宮鏡検査と卵管造影
21日に検査を受ける予定だったのだけど、結局受ける事が出来なかった。
黄体ホルモン不全というものを持っている私は、薬を飲まなければ正常周期でなかなか生理がこない。
という訳で今回も通常30日前後周期のはずが37日かかってきた上に、約一週間弱で終わるのが正常なのに10日を過ぎても終わらないという状態に…。
その為21日に予約を取っていた10日目(7~12日目に受けるべき検査)の検査は中止。
結局25日(14日目)でギリギリ生理終了となって、検査が出来るという有様だった。
検査は午前10時から。
その為に大阪の自宅を午前7時に出て、2時間ちょいで到着。
帰りの状態を考慮して、母が車で送迎してくれると申し出てくれた。
張り切って運転してくれた母…ちょっと早めに到着し過ぎたっぽい…。
予約時間20分ほど前に受付へ。
しばらく待って呼ばれ、まずはDr.とお話し。
「微妙に出血が残っていて、ギリギリって感じなんですが…」と伝えると「遠方からわざわざ出向いてもらっていますし、『こりゃ駄目だ!』と思うほどじゃなければ何とか頑張って検査を進めていきますよ」とDr.がにっこり。
続いて【リカバリールーム】から呼ばれ、そこで上半身は下着を着けたまま下半身は全部脱いでガウンに着替える。
(入院病棟の多人数部屋のように、ベッドと椅子があってカーテンで仕切られている)
そのままベッドで座って待っているとカーテンが開いて、処置室へ。
まずは子宮鏡検査が先だった。
いつもの内診台に乗せられて検査開始。
横にあるモニターに自分の子宮内が映し出される…と…。
「んー…卵管の入り口がこれですが…薄い膜みたいなのが見えますねぇ。
去年一年体外でやってきたんですよね?
治療周期外の排卵は少ないのかな?卵管が軽く詰まってますねぇ」
そして画面が変わってぐるぐる動いていると、ふと異物発見。
「これ…見えますか?敷石みたいにぽつぽつ見えてますね。
これはポリープですねぇ…うーん…今まで検査は?したこと無い?
なるほど…分かりました」
で、終了。
その後卵管造影用のカテーテルを子宮内に入れられ、その状態で今度はテクテク歩いて別の部屋へ。
真っ直ぐに立った状態の台に乗せられて「両手でしっかりここを持ってください」とベッド脇の手すりのようなものを指される。
握り締めると「倒れます~」という声と同時に台が倒れて寝転んだ状態に。
「先生お願いします~!」と声がかかると、しばらくしてDr.が…。
私の横を通り抜ける際に「あのね、詰まってる卵管に頑張って造影剤を流して貫通させるから。多分すぐにかなり痛くなると思うんやわ。我慢できんほど痛かったら片手挙げて教えてな。で、『もうあかん!気絶するかも!!』って思ったら両手挙げてな」と言われてビビった。
ポンポンッと私の肩を叩き、「頑張ろうね!」と声をかけてDr.は立ち去る。
「始めます~!」という看護師さんの声がかかってから…。
めっちゃめっちゃめっちゃ痛かった…。
ほんまに痛い!あかん!死ぬかも!!とか思った。
が、手は挙げなかった。
ここで手を挙げたら卵管の貫通は無いだろう。
多分手を挙げたら止めるんだろうなぁ…と思っての我慢だった。
痛いのは慣れてる!と自分に言い聞かせての検査。
とにかく台の横にある手すりを握り締めて耐えた。
永遠に続くかも?!ってぐらい痛い検査は、それでも数十秒で終わった…のかも。
看護師さんに「起きられる?痛かったでしょー?よく我慢したねぇ…」と言われ、「しばらくここで休む?顔色悪いよ…?」と気遣われながら、リカバリールームのベッドに歩いて戻った。
そこで約30分。その後造影剤がどういう風にお腹の中で広がっていくのかを確認する為、再度X線撮影。
その後また休憩…の時になって看護師さんが「これ、鎮痛剤。飲んでおくといいよ、痛いでしょう?」と持ってきてくれて、1時間弱横になり、薬が効いて動けるようになってから抗生物質などを受け取った。
着替えて待合室にいる間に母に連絡を入れ、上にあるリラックスルームから母に迎えに来て貰う。
その後Dr.とのお話しに呼ばれる。
「ポリープは子宮内のちょうど真ん中辺り。4~5個見えているので着床に支障がある可能性もある。
少しでも影響があるかも?と思うものは取り除いておいた方がいいと思う。
オペを受けたいのなら、遠方なのでこのまま引き続いて明日の予約を取れるよう配慮する事が出来る。
もし明日やるなら、前日にやっておく前処置を今からやっておく事になるので、何度も通う必要も無いし楽かも知れない。
一度自宅に帰ってから考える事も可能だし、希望するなら後日予約を取ってもいいけど、その際には予定を2日分空けておいて欲しい。
ポリープ自体が悪性か良性かは今のところは分からないので、病理検査に出す。
まぁ、子宮鏡で発見できるポリープで悪性である事は少ないので、それほど心配はいらないとは思うのだけど、可能性は0%では無い」
そして、「どうされますか?」と一言。
「分かりました。明日お願いします」
こうして手術を受ける事が決まった。
診察室から出て、待合室で待つ母の元へ。
「あのね、ポリープが見つかったから明日切除手術するね」
一瞬動揺した母はすぐ立て直し、「ポリープなら簡単な手術よね?分かった、明日も送迎するからね」と受け止めてくれた。
その後術前の承諾書記入や血液検査を受け、再び診察室から内診室へ。
子宮の入り口にマッチ棒ぐらいのものを入れておくと、翌日の手術までに体内の水分を吸収して大きくなり、子宮口を広げる役割をするらしい。
その処置をして母と共に病院を後にした。
帰りの車の中では腰の辺りにクッションを置きまくり、シートを倒して自宅まで帰った。
そして。
自宅に帰ってWebサイトを見ていたら「卵管造影検査の際、ご希望により麻酔を使用する事も出来ますのでお申し付けください」の一文を発見。
…先に言ってよ…。:゚(。ノω\。)゚・。ウワァァァァァァァァン
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2010年01月22日
脳血管撮影検査
父の脳血管造影の時間は、最初の予定では午前9時半頃を予定していた。
担当Dr.に聞いた予定時間は約4時間。
どんな大変な検査なのか…とオロオロしていた。
その後看護師さんに話しを聞くと予定が10時になり、結局検査は10時半開始となった。
救命救急センターの面会時間は小まめに分けられている。
重症患者が多い為、疲れてしまわないように配慮されているのだそうだ。
朝7時~8時。
昼2時~4時。
夜8時~9時。
半端に早すぎたり遅すぎたりで、父のように寂しがって一日に何度も来て欲しがる患者の家族は体調を崩しやすい。
私が行って数日の間、母は全部の時間帯に開始時間から終了時間まで通い、「自分の事も家の事も何も出来ないしする気になれない…」と疲れ切っていた。
なので4日目位から「明日はお昼でいいよね?」とか、お昼の時間帯に「夜は来なくても大丈夫でしょう?何か用事でもある?」などと私が父に言い、「いや、特に用は無いよ」と言わせて母を連れ帰るようにした。
あのタイミングで私が実家に帰っていなかったら、恐らく母は倒れてしまっていただろう…。
面会時間が7~8時で、検査が10時半だと言うのに父が「付き添って欲しい」と言う。
母も私も「面会に来れないから、付き添うって言われても…」と戸惑っていたのだけど、結果的には「危険を伴う検査だから」という事で家族は待機していなければならないらしく、面会時間開始までいつも待っている「面会待合室」で時間を過ごす事になった。
コンビニでパンを買い、7~8時に面会。
父の病室を出て一度車に戻り、3時間まで駐車料金が無料の駐車場から一度出て車を元の駐車場に戻す。
外来のちょっと広めのソファスペースで母と向かい合って座り、コンビニのパンとジュースで朝食。
10時前になって待合室へ。
10時半頃になって救命センターの中が慌しくなり(すりガラスの二重扉で中が見えない)、40分に父が出てきた。
ベッドごと運ばれて行く父に「頑張ってね!」と声をかけて見送り、後は待つだけ。
看護師さんからの説明では最終的に所要時間は1時間。
Dr.の言う「4時間」は、血液抗凝固剤を使っている父の動脈を通して検査をした後に、血液が止まるまでにかかる所要時間だった…。
しかし1時間経っても父が出てくる気配は無い。
母も私もソワソワ。
待合室を出たり入ったり。
結局検査が終わって戻ってきたのは、2時間後の12時40分過ぎだった。
その後父の状態の説明があったのが午後2時の面会時間開始後。
そして大まかな結果から言えば…。
今回父が倒れた大本の原因は【糖尿病】
正常値4.3~5.8でなければならない数値が、入院時8.4になっていた事。
【優】判定で80~110の数値でなければならない血糖値が288になっていた事を聞かされた。
糖尿病から動脈硬化が始まり、首や肩の血管が詰まって先日の「左腕の壊死直前」の状態に。
左の首から脳に向かう血管は、1/3も通って無くて血流がほぼ見えない状態になっていた。
途中途中に動脈硬化が大量にある為、ステントやバルーンでの手術はほぼ不可能。
逆に脳梗塞を誘発する恐れの方が強いとのこと。
また、大量にある動脈硬化や血栓が出来た事で、脳梗塞が起こった。
今回も新たに脳幹部分に梗塞が出来ており、糖尿から来る視神経への麻痺なのか、脳幹から来る視神経の麻痺なのかは結局のところ判明せず。
とにかくインスリン投与で血糖値をコントロールしつつ、日本で使える抗血液凝固剤3種の全てを活用して血栓が出来ないようにしながら、何とか症状の改善を目指す…という程度にしか、今の父に出来る事は無いとのことだった。
神経麻痺の治療には3ヶ月~6ヶ月は最低限見ておかなければならないとの事。
ゴルフや友達との旅行をドンドン入れて自由気ままにやっていた父には、多くの我慢がのしかかる。
40年来の友人の中には早くからインスリンを打っている人も多く、今までは「俺はまだインスリンを使うほどではない」というのが自分なりの心の拠り所だったのだろう。
でも今、早くにインスリン治療に切り替えた友人達は薬や食事を調整しながら旅行も出来るしゴルフにも行けるけど、父はベッドの上で検査検査の毎日。
これからが勝負。
これからが踏ん張り時。
父がどこまで頑張れるのか、こればかりは父次第…。
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2010年01月18日
Dr.からの説明
父の担当Dr.の説明がある日。
救命救急のDr.なので、手術や救急車の来る合間合間に様子を見に来てくれる。
父の現在の可能性。
1.新しく脳幹部分に小さな梗塞があり、視神経に影響している?
2.糖尿病の数値が悪化しているので、そこから視神経に影響?
3.前回の梗塞が進行した?
4.悪性リンパ腫の可能性も無いとは言えない。
5.その他もっと精密な検査をしなければ分からないような原因が?
視力はあるのだけど眼球が思っている方向を向かないのは【滑車神経】が麻痺している可能性が高いらしい。
1.の場合、症状が出てすぐに病院で血栓融解の点滴をしたので、このまま一週間ぐらい続ければ症状が改善する可能性が高い。
2.の可能性も考え、今日からインスリン注射も開始。
3.4.の場合、改善、治療を行うのでは無く延命治療に入る事になる。
そして5番目…。
他に何らかの可能性が無いとは言えない状態の為、脳血管造影検査をしたい…と昨日提案された。
ただし脳血管へのカテーテル挿入は太ももから。
長い距離を進む為、途中に血栓等があった場合に、それが移動して新たに脳に血栓を送り込んでしまう可能性がある。
脳血管造影検査の影響で新たに梗塞を起こし、半身不随や命を落とす確率は1/500。
やって納得しながら命を落とすのと、やらずに原因がハッキリせずに不安を抱えて生きるのとなら、前者を選ぶと言った父。
検査をするなら早い方が、原因を確定して次の治療に移りやすい…と、担当医が押さえた検査日は22日金曜日。
難しい選択を迫られている。
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